壊れ縁式(コワレエニシキ)
壊れ縁式は縁現象(en, lila esgonal)に干渉し、変化をもたらすための言語的術式の失敗作である。
概要
文に相当する縁世(エンゼ)なる言語内的世界を創出し、それを現実世界に衝突、干渉、融和させることで現実世界に介入させる。
縁世は以下のような構成からなっている。
- 基縁:単一の、機能語ではない語。縁式にとって最も基本的な縁を表す語。
- 混成縁:基縁の連なりであり、基縁の表す縁を混成し、より具体的な縁を生み出すために用いられる。
- 縁塊:混成縁を塊子(カイシ)で連ねたもの。個々の混成縁を相互作用させることによって、基縁、混成縁だけでは得られない縁を作り出す。
- 縁層:複数の縁塊を層子によって層化させたもの。縁層においては、縁の階層性が生じており、縁の支配性が描写される。
- 縁世:縁層の頭に、場縁を付したもの。これによって、言語内的な世界を生成できる。
- 場縁:縁世を構成する要素の1つであり、世子(ゼシ)によって縁層と隔てられる。縁層の生きる環境を提示する。
また、混成縁や縁塊にとって重要な要素として、印象強度がある。印象強度は文法上並立的な縁表現に非対称性をもたらす。
一般に、語順がそれを示唆するが、アクセントや語気など、様々な要素が印象強度を定める。
印象強度は、1つの縁表現の内容における、その構成要素の寄与度を規定する。
さらに、歪子(ワイシ)と呼ばれる、縁表現の後ろにつき、その内容を変容させる機能語もある。
文法について
縁式の文法は、縁世の形成方法に等しい。基本的には縁世は次のように生成される。
縁世 ::= [場縁] 世子 縁層 “.”
場縁 ::= 縁層
縁層 ::= 縁塊 (層子 縁塊)*
縁塊 ::= 混成縁 [(塊子 混成縁)+ 塊子]
混成縁 ::= [配子] (基縁 歪子*)+ 歪子*
基縁、作用子(世子、層子、塊子、配子、歪子)は1語の単語である。基縁はいわゆる内容語であり、作用子はいわゆる機能語である。
各論
基縁と混成縁
基縁はそれだけで縁表現として機能するが、基縁の種類は有限である。
そのため、基縁を混成したり、歪子(後述)を付すことによって、多彩な縁表現を実現する。
混成は至って単純であり、基縁を連ねることによって行う。
[ここに混成の例がくる]
複数の縁表現を混ぜ合わせるため、構成要素の混成結果に対する寄与度の問題が生じてくる。
その寄与度の概算のために、印象強度という概念が提唱された。印象強度が大きいほど、寄与度が高いことを意味する。
- 原則として、語の並びの中で早いものほど印象強度が大きい。
- アクセントが強い、音程が高い、イントネーションが変則的であるほど、印象強度は大きい。
- 一説によると、語が短いほど印象強度が大きくなる。
語の早さによる印象強度の順序が、その他の要因によってどれだけ変わるかは分かっていない。
印象強度に関するいくつかの定説を以下に載せる:
- 語順主義:書物において縁式が効果を発揮するところを見るに、音声的な要素は本質的ではない。
- 音声主義:語の早さは極めて便宜的なものであり、実際に印象強度に重要なのはアクセント、音程である。
- 差異主義:重要なのは差異であり、定常の中で異常であることが重要である。筆記においても筆圧や文字の大きさが重要となってくる。
- 弱い語順主義:音声の如何は語の早さによって規定された強度順序を覆さないが、無限にその強度に近づけることはできる。(同順序可能性)
学問として最も広く受け入れられているのは語順主義であり、音声主義は基本的にマイノリティである。
しかしながら、実際の使用者を含めると弱い語順主義者が大半である。
差異主義は最近出てきた主義であり、まだ支持者は少ないが、熱烈な賛同者が比較的多い。音声主義からの流入が多い。
差異主義では、音声の多彩な差異表現を筆記でも可能にすべく、新たな書記体系を開発する風潮もある(が、そこまで功を奏していない)。
歪子
歪子は基縁あるいは混成縁の直後につき、その縁内容を変容させる機能語である。
変容のさせ方には段階変容と投影変容があり、よって、歪子は2つの語群[と少しの例外群]に分けることができる。
段階変容
段階変容は日本語の「非」や「反」といった接辞の担う作用に相当する。特に段階変容を担う歪子のことを、段階子と呼ぶこともある。
段階変容は、ある縁表現から、それの補概念や、対概念、中立概念を作り出すのに使われる。
- ad; 非:元の意味ではない他の(関連する)意味の縁に変容させる。
- so; 反:反対の意味の縁に変容させる。
- no; 中:中立的な意味の縁に変容させる。
- ar; 強:強い意味の縁に変容させる。
- im; 弱:弱い意味の縁に変容させる。
投影変容
投影変容は汎縁にとって有意味な変容である。
まず、汎縁とは、我々の認識論においては対立・矛盾するような複数の概念を1つの語の身に備えた基縁(稀に混成縁)のことである。
よく例として出されるのが色である。ある物が単一的に赤であることと単一的に青であることは対立する。汎縁はこの対立する赤と青を同時に表現する。
投影変容は、汎縁から、すなわち、対立しあう諸概念から1つの概念を引き出そうとする変容である。
「投影」とは、N次元物体に光を当て、一側面から眺めた輪郭を表すN-1次元の影ができることと異なることではない。
歪子のうち、投影変容を担うもののことを特に投影子と呼ぶこともある。
投影子はおおよそ先ほどの例でもそうしたように、各投影に色を付けて区別されている。
実際、「色」の汎縁に種々の色投影を行うと、対応する色の縁が得られるため、現象的にもこのラベリングは妥当性があるようである。
- of; 黒投影
- wo; 白投影
- on; 赤投影
- si; 黄投影
- cu; 緑投影
- za; 青投影
投影子の研究結果の中で広く受け入れられている事実は、投影が有意味になる投影子には順序があるということである。
例えば、黒/白投影子の投影が無意味であり、黄投影子の投影に意味があるということはほとんど見られない。
このことをまとめると、次のようになる(これを「投影の規則」と呼ぶ):
白・黒 → 赤 → 緑 → 黄 → 青
しかしながら、ほぼ厳密にこれに従うのは赤までというのが現在の見解であり、緑、黄、青については、これに従わないケースもある。
もう少し詳しくいうと、まず、緑と黄は、多くの汎縁においてほぼ同程度に生起しうるため、緑・黄ではないかとする意見もある。
また、青 と 緑・黄の生起順が逆というケースもしばしば見られる。
そこで、メルラ・カオ(Merla Kao) は、新しい投影則を最近提唱した(これは「メルラの投影則」と呼ばれる):
白・黒 → 赤 → (緑・黄 / 青)
メルラの投影則では、有意味な投影子が4つのときは青が、5つのときは緑・黄が優先されるとしている。
この投影則は従来の規則よりも現象に忠実であるとされているが、完全に厳密な法則ではないことには注意すべきである。
縁塊と塊子
縁塊は、混成縁と異なり、複数の縁から1つの縁を創りだしたものではないことに注意したい。
縁塊とは複数の基縁/混成縁をその形を保ったまま、塊子によって相互作用させた、いわば縁のシステムのことである。
平たく言えば、縁塊はいくつかの縁の間の「仲の良さ」を塊子によって規定したものである。
- mi; 和:両端の縁が調和にあるを表す。
- di; 乱:両端の縁が不調和にあることを表す。
- ya; 包:印象強度の強い方が、弱い方を包含していることを表す。
理論的に、N個の縁があるとき、そのそれぞれに対して「仲の良さ」を規定すると、NC2=N(N-1)/2 だけの記述が必要である。
例えば、3~5個の縁があるときは、3~10個の記述が必要となり、縁が増えるほど極端に数が増えていく。
しかしながら、実際の運用上は、表現したい縁世にとって最も重要であるような塊子だけを記述することがほとんどである。
よって、そのような塊子が記述できるように、縁を並べておく必要がある。つまり、ひとつなぎの縁の糸を紡げばよい。
実際の文法的にはそれは糸というよりは数珠である。縁塊の末端の塊子は最後の縁と最初の縁を繋ぎ、それによってループを形成する。
数珠システムによって、3個以下の縁のときは完全に記述が可能となるが、4個以上ではひとつなぎでは記述できない縁同士が生じる。
エニシキには、4個以上の縁の繋がりを完全に記述する方法として、再帰形式縁がある。
再帰形式縁は単独で使うと2つ前の縁を照応し、その混成縁は混成している語の数だけ1つ前の縁を参照する。
つまり、[X] では2つ前だが、[X X] では3つ前、[X X X] では4つ前の縁を照応する。
縁層と層子
縁層は、縁のシステムである縁塊に階層性をもたせたものである。縁層は包の塊子と類似しているとよく言われる。
確かに、包の塊子と同様、層子は包含性を有するが、重要なのはその対象がシステム同士であるということである。
包の塊子は縁同士の内包関係を示すのに対して、層子は縁システム(縁塊)同士の内包関係を示すのである。
- fas; 順層
- von; 並立層
並立層は、その前の層と同じ高さだが独立した層を形成する。すなわち、層の分岐が可能となる。
縁世と場縁、世子
世子は層子と似ている。異なるのは、世子の記述する包含関係が環境と縁システム(縁塊)であることである。
文法上、場縁は縁層であるが、これは縁の記述ではなく、縁システムの置かれる場の記述であることに注意すること。
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メモ
エニシキ の初源はウィト・フェルミの『世界を繋ぎ、そして世界たるもの』にあるとされる。
『世界を繋げ、そして世界たるもの』では、エンは lila esgonal と呼ばれており、直訳すれば「矛盾する原子」である。
ウィト・フェルミはこう述べている: 「本書で述べる仮想的な、現実味のある虚実体は、この世界を構成するとともに、この世界をなしている。それは一であり、それがゆえに全である。後世に受け継がれることを願って、この虚ろで確かな実体に「矛盾する原子」と呼ぼう。」
「本音を言えば、矛盾する世界原子としたいが、冗長な名称は一般に消え去るのみであるからして、「世界」をその名に取り入れないこととする。この原子は一であり、それがゆえに全であるとともに、全であり、それがゆえに一たりうる。」
「我々の意識やそこに沸き立つ諸感情、それの備える肉体、それを取り巻く空間、それを受け流す時間というものは、究極に言えば、この矛盾する原子に終結する。」
「我々があるものについて、それが生じ、発展し、やがて朽ちるにつれ、滅するという印象を抱くのは、間違いではないが、間違いであるとしか言いようがない。それは元々そこに無かったし、実は永劫そこに在るからである。我々の印象は世界を色付けるが、ただそれだけである。
一方で、我々には非常に優秀な見えざる感覚器官があるという他はない。それは比喩付けであったり、関連付けであったり、連想付けであったりを担う器官であり、恐らく世界を捉えうる唯一の器官である。」
「私はこれから、この器官と矛盾する原子に、細い一本の糸を以って繋ぎとめよう。この矛盾する原子は、おそらく世界の本質であるし、世界そのものであり、この感覚器官を以ってそれが完全に理解されることはなくとも、何かしらを感じ取ることができるかもしれない。」
「lila esgonal なる概念は、ある意味それ自体が lila esgonalであったという他はない」と、後世のエン学者であるディン・トポリは述べる。「瞬く間にその概念は世界を包括し、世界の一つとなった。そして、洗練されていった。」
彼によれば、lila esgonal のことを極めて短く en といったのは、エスゲルの学者、シム・ファインである。「我々は、esgonal よりも lila に強く印象を受けており、esgonal の中については、アクセントである g に印象を抱く」
「であれば、実際に、lila esgonal が lila esgonal として意味を持つのは、その補である “es” や “nal” でなかろうか。私はこのことから、最も lila esgonal を正確に表す単語として、短く、そして力強く、en と名付けたい。」
ディン・トポリは、たとえシム・ファインがこの世にいなくとも、ほぼ必然的に en になっていただろうと述べる。結局のところ、ファインの推論は正しかった。lila esgonal は、その魂を en に宿してから一層強く、この世界を支配した。」
それが必然の一致であるかはともかくとして、en には元々「怠惰」という意味があった。言語学者 ウォロフ・ソシエ はこのことから、「エンには物理法則においてそうであるように何らかの慣性がある」と主張した。このウォロフの仮説はまだ実証されていない。」
published : 2015-8-2
revised :